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ドリッピング春香

décalcomanie

筋を綴ることが未読の物語の面白さを損ねるのであれば、どうにかそれは回避するものだけれど、読むに先んじて筋を知ることがプラスになるのであれば、そうしない理由はありません。
しかし、まずは動画を貼りましょう。


ろきうさんの『悪夢の春香』。

語り手の「天海君」は、老いた自分自身の姿を思わせる中年男性が、娘の「春香」を犯す夢を見る。
夢から醒め、現実の彼は友人らしき「彼女」に夢の内容を語り、夢を見たという事実を除く、その夢のあらゆるを――それが余地夢であるとか、その夢の倫理感をだとか、それを彼女に語る必要性だとかを、否定される。
夢のシーンは視点や場面を変え、現実のシーンも必ずしも時間的、世界観的連続性があるとは限らない、これをわざわざ意識させるように描かれています。

これは胡蝶モノ、「夢と現実が入り混じり、どちらが夢でどちらが現実なのかわからなくなる」実験的お遊びを縦糸とした物語の形式を取っているように見せて、ご視聴下さればお分かりの通り、その原則から完全に外れた形を取っている。
かといって、パラレルワールドだとか、狂気の幻想ってわけでもないのですね。あくまで夢なのです。
それも、「夢の中の人物が夢を見ている」のでも、「夢の中で夢だと思っていた方が現実だった」のでもなく、(明示暗示を問わず、)高次・低次の差をつけないで、全ての夢が並列な虚構として描かれている。
夢を見ているのは、現実の中の一人だけ。だから悪夢は常に悪夢たり得る。誰かにとって幸福な夢であったのなら、それは悪夢とは呼べませんから。
そうして、この物語にとって「現実」と呼ぶべき足場は、キーボードを叩く筆者や、画面の前にいる視聴者のいる世界だけなのですよね。

作中で天海春香の姿をしているのは娘の「春香」ではなく、「天海君」の夢の内容を聞かされる「彼女」であって、いわゆる天海春香とは別人で、正確も口調も立場も違って描かれているのですけれど、彼女は(作中の「現実」パートの登場人物でありながら、)きちんと夢の中の登場人物らしく描写されているのですね。
理解力が高く、意見が一定であり、気分屋で、いて欲しい時に常にそこにいる。
これは「彼女」が夢の産物であることの暗示ですから、「彼女」が天海春香でなくとも、それをベースに夢見られた人物であると推測できます。
天海春香を出すことなしに、春香像を投射する。


処女作、『公園の春香』において、「春香」は無口な少年に付けられた名前です。
天海春香の姿をした「写真のなかのお前」は何も言わず、「おれ」と「春香」を見つめて微笑んでいるのみです。
傷跡の春香』では、「春香」は語り手である「僕」の幼馴染で、天海春香の姿をしてはいて、「僕」は「春香」との思い出をいくつも持っていますけれど、しかし、その「春香」という人間は「僕」のいる世界に存在しないのです。

精神疾患だと決め付ければ説明もつきますし、パラレルワールドだと明言すればすっきりもするのでしょうが、これは単純に、このような法則に基く世界なのでしょうね。
幽霊や妄想のような少年が実在し、それがただの当たり前の少年になり、また初めから存在しなかったかのように、あるいは過去の妄執が見せた幻覚であったかのように消えてなくなる世界。
つい先日まで一緒にいた幼馴染が、初めからいなかったことになり、それまでの歴史すら改変される世界。
時系列や物理法則が捻じ曲げられるのは夢によくあることだから、これに夢診断を加えても良いですし、別に加えなくとも良いのでしょう。
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ニコマスとかアイマスの話を思う存分書き綴る用のサブブログ。 たぶん期間限定なんですけど、期間自体は未定。本家

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