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眼鏡雑考


世の中には生来的に眼鏡の似合う人間というのが少なからず存在し、そういった人は、眼鏡をかけていなくとも、似合う眼鏡が鼻梁に幻視されるものです。
やれ彼女はダークブラウンのフルリムオーバルだ、彼女は鼈甲のナイロールだ、彼はシルバーのツーブリッジティアドロップだと。
逆に、眼鏡に似合う人間というのも決まっており、上に挙げた例を見て顔を思い浮かべれば、異頭同姿にまるで同じ顔が浮かぶものです。

眼鏡の話をする際に、上掲動画へのコメントにもあった西川魯介の漫画を挙げることは共通認識ともなるテキストの提示による説明の省略という点で大変有用だとは思うのですが、上掲ひゅんPのtwitterや動画内で散見される眼鏡観と、西川魯介作中で綴られる思想、及びその他傑作と呼ばれる眼鏡関連作品での眼鏡の扱いにおける相違点は、主に眼鏡存在への受容(眼鏡と認識ないし規定する範囲)について顕著であり、それでいて本質的な部分では殆ど差がありません。
ある眼鏡論者の生育環境において眼鏡が迫害されていた場合、その論説は攻撃的ないし過剰防衛的になりますし、眼鏡が稀少であった場合は基準が甘くなり、眼鏡に恵まれていた場合はその好みが細分化されるきらいがありますが、相手の論旨を理解し、きちんと噛み砕いて飲み込めば、その辿りつく場所はよりイデアに近い似像となりましょう。
然るに、まず前提として、「現在眼鏡をかけている人間が、必ずしも眼鏡をかけ続ける必要はない」という点を挙げておきます。
これは「個人の自由」という人道的配慮によるものではなく、「眼鏡の似合わぬ輩が眼鏡をかける必然はない」という選民思想によるものであります。

無論、これは、眼鏡の似合わぬ者に眼鏡の着用を禁ずるような差別主義ではなく、無益な呪縛から人の魂を解放し、より広範で進歩的なステージへと移行する可能性を示唆する警句であることは、この冒頭に明記しておくこととしましょう。
上掲、シロPの『【モバマス】上条春菜ちゃんが可愛かったので思わず立ち絵作って(ry』を見ればわかる通り、正直私も上条には眼鏡がそれほど似合うとは思いませんが、本人が掛けたいというのであれば、それを止める所以もないのです。
この子は些か眼鏡を全能視している部分があり、危うさが強いのですけれど。


例えば、律子は眼鏡というものを理解しようとし、それをある程度までは達成し、自らの造型をパーツとして把握し、「眼鏡を掛け続けるため」に、常に眼鏡の似合うスタイルを追求している節があります。
彼女は元々自身にそれほど眼鏡が似合わないことを自覚しており、それ故に自分自身の容姿に自信を持てずにいるのですが、髪型、服装、性格などを含めたトータルコーディネートにより、一定の眼鏡似合い力を維持していることには感嘆を禁じ得ません。

さて、眼鏡の似合う条件とは。
これには大きく分けて、3つの要素があります。


まず、顔のパーツ中で相対的に目が小さいこと。
あるいは、眼鏡をかけると目が大きくなること。
これは「目が大きい方が美しい」という旧来的画一論に毒された短絡な価値観に基く判断基準ではありますが、一定の実はあります。
近眼の人は裸眼時に目を細めがちなので「眼鏡をかけると目が大きくなる」し、遠視者は凸レンズなので「眼鏡をかけると目が大きくなる」、簡単に言ってしまうと、「目が悪い」ことが眼鏡の似合う条件となるのです。
眼鏡を外せば目が33になるような方は、逆説的に、眼鏡が似合うとも言えるのです。
この事実を曲解し、伊達眼鏡に対する過剰な圧力、差別を行う過激派が存在することは事実ですが、これは安易な権威と思い込みに流され、可能性を剥奪するだけの、全くの愚挙だと言えましょう。
別に目が悪くなくとも、目つきの悪い人間は幾らでもいるのです。
目つきサンプル
架空のアメリカ合衆国政府が行った架空の統計調査では、目つきの悪い視覚健常者の内、約3割が眼鏡をかけた際に裸眼時の20%以上目を見開き、約5割が10%以上見開いた、という結果が出ているような気がします。

眼鏡をかけた方がより美しい者には、眼鏡をかけ続ける義務lunettes oblige があるのです。
これは美術的にも文学的にも「世界の美の中心」とされるフランス国においては一般的な言葉であり、初等教育でも学ぶ常識的概念です。

Et oui, aujourd'hui j'ai une grosse tête... Je dois bosser pour l'entretien professionnel de mercredi pour un poste à responsabilité dans la culture.

(lunettes oblige - mon chat me fait les poches)


簡単に日本語訳すると、「そして、そう、私は大きな頭を持っている... (だから)私は、文化​​の中で責任ある地位に基き、水曜には(眼鏡を)完全に調整しなければならない。」という程度の意味ですね。
フランスで「大きな頭」というとラ・フランス(洋梨)型、大体日本でいう「下膨れ」のような頭の形を差します。
下膨れサンプル
頬の膨らんだ顔に眼鏡を掛けると、輪郭内の上下のバランスが取れ、真円に近づくのです。
古代ギリシャでも黄金比を超える究極の美とされ、あらゆる柱に用いられた円は、実の所ごく狭い範囲でのみ好まれた黄金長方形とは異なり、文化の隔てなく、あらゆる時代のあらゆる地域で好まれたものです。
自然界でも円は決して到達することの出来ない理想として在り、例えば蜂の巣の構造であるハニカムの究極こそが円形ですし、相似形黄金比は本来螺旋ではなく真円を描くために作られたものとされています。
洋梨にラ・フランス≪フランスそのもの≫という名が与えられたのは、人が究極の美へと近づくための最も現実的な方法である「下膨れに眼鏡」を体現する果実であったからなのではないでしょうか。

そう、眼鏡は強化パーツではなく、補填パーツであるのです。
眼鏡は顔の一部であり、眼鏡の似合う人間は、その実、生まれる時に母胎へ眼鏡を置き忘れた者達なのです。

眼鏡が似合う第三の条件として、低身長が挙げられます。
低身長サンプル
背が低ければ畢竟、対面者への視線誘導のストリームは頭頂部から下方に向かうため、人の意識を集めるためにはその方向を断裂ないし収束、変化させる眼鏡は重要な意味を持ちます。
これを「眼鏡をかければ個性が出る」と直結させることは、適切な判断とは言えません。
高身長者が眼鏡をかけても、視線の終着点が額から目の位置に下がっただけで、それほど大きな効果は得られないのです。
眼鏡が似合う人間が眼鏡をかけるというのは、欠けたる要素の補完であり、真理へと向かう哲学であると共に、美へ至る神学であり、また医学の一途でもあるのです。法学要素は特にないです。

で、結局何が言いたかったのかというと、

ひゅんPの『天海春香密室殺人事件 ~72cmの隙間に潜む死神~』も面白かったしもっと皆ゆっくりノベマス作ればいいのに、という話だったような気がするんですけど、えぇと、なんでこんな話になったんでしたっけね。
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ニコマスとかアイマスの話を思う存分書き綴る用のサブブログ。 たぶん期間限定なんですけど、期間自体は未定。本家

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