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くびちょんぱm@ster

 首のない人間は可愛いし、首があっても可愛い人間は、首がなくても可愛い。

 首がないとたいていの人は死んでしまうし、死んだ人間はあまり好きではない。

 ので、隠れているというのは現実的で効果的に気持ちがいい。

 首があっても可愛い人間は、もちろん首から上も好きだから、時々うつるときに、はっとする。

 見えない方へ
__さんの『見えない方へ』は、黒枠を以て首の存在と非存在の境界とする。
0:46~0:49で視聴者は首の存在を完全に忘却し、0:50でそれが覗くことに、生半ならぬ衝撃を受ける。
理性的に考えれば、そこに首があるのは当然のことなのだけれど、ごく短時間の内に首がある状態こそが異常であるという刷り込みを受ける。
それが崩されるわけだから、存在と非存在の境界どころか、常識と非常識、現実と非現実、画面と画面外、舞台と客席の境すらも曖昧になる。
この揺さぶりは徐々に強くなり、終盤では比較的頻繁に画面内に顔が現れ、視聴者は体内の液体が激しく上下させられ、陶酔に落ちる。
首の不在だけでなく、首の実在をもその手管には組み込まれているのだ。

 単純に造形的な面から言えば、人間の形というのは極めて不気味であり、

 不自然で、アンバランスで、美において大きなハンディキャップを背負っていると言ってもいい。

 人間は首がない形の方が完成されているのだから、

 首がない状態を正常だと感じてしまうことは、それほどおかしなことでもないのだけれど。

 消える場所
消える場所』は、序盤は確かに存在していた首が、0:40頃になって唐突に消失する
これは椅子から転げ落ちるほど驚いた。
『見えない方へ』は視聴者の意識が首のない世界へとシフトしていたけれど、『消える場所』では首の方が消えてしまう。
タイトル通りといえばそうなのだけれど、このタイトルって首の話をしてたのかしら。

__さんの動画はわりと首から上が切れてるし、最新の『忘れる』もそうだったのだけれど、首が「隠れている」ではなく「存在しない」って印象を持たせる物は、それほど多くもないんだなぁ。
これが不思議なのだけれど、例えばえぇと、これ好きだからこれにしよう、『目の前で』。
この映像だと、「首がない」ようには全く見えない。
そりゃ別に、実際首はあるんだし、首がない状態を狙ってるわけじゃないんだろうから当たり前なんだけど、一応これは「首が完全に隠れているカットがほとんどない」のと、「首が完全に隠れていて、首から下が上方向に切れていないカットがほとんどない」からなんですかね。
首だけがない状態が秒単位では存在しない。
だから首は無いのではなく、たとえば単に忘れられていたのだったり、元々目の前にあるのだったりする。

 もつなべ.mp4
Tm(元素Tr+n)さんの『もつなべ.mp4』、この飛ばし方は衝撃だった。そして美しいんだな。
人間の形状が不気味になってしまうのは、毛がないことによって表面の歪んだ曲線が目立つからというのもあるけれど、何より胴体に対して頭が異常に大きく、重心が高すぎて、不安感を誘うというのが大きい。
かといって、頭が小さければ、逆に肩の主張が暴走する。頭を大きくして頭身が小さくなれば見た目の安定感は増すが、そもそも直立二足歩行というのが問題なのだ。
身長が低く、重心も低い日高さんは元より比較的安定感があるのだけれど、やはり首がなくなるとそれがグッと増す
同動画内では非表示による首の喪失も用いているのだけれど、それも「腕を下げた状態での回転」という首がない画での大きな動きをそのカットで使っている。
この点から鑑みて、前者についても意図的に「首を飛ばして」いるのではないかと推察できる。

 首から上には「意味」がありすぎる。

 特に春香さんの首なんて、意味合いが強すぎるんだな。

 のヮのと書いただけで過去の春香さんの誰かが侵食してくる。

 こうなると、まともな画作りなんて出来たものではない。ということもないけれど。

逆に、首がないことでより強い意味――正確に言えば、同等の複数の意味を同時に持たせた動画もある。

 春香 一生謳歌
終わり詩Pの『春香 一生謳歌』。
その文脈を論理的必然性もなく削り倒した上で言えば、準サブリミナルによる刷り込みと、補完による形成で首なしの状態を生み出すという、これもまた特殊な方法をとった首なし動画だといえる。
この動画において、四体満足のカットが連続して流れるのはごく短い時間であり、16春香さんと17春香さんそれぞれの顔が映るシーンがやはり圧倒的に多いし、首だけがないシーンに比べれば「チェストのみ」や「下半身のみ」が映るシーンの方がまだ多い。
しかし、短い時間ではあるけれど、首のないカットは確かに、何度も映る
そして、「チェストのみ」や「下半身のみ」のシーンで、その見切れた部分に脳が補完する春香さんは、首のない身体までの部分になる。
この動画には16春香さん、17春香さん、そして首なし春香さんの、3人の春香さんが出演しているのだ。
首のない春香さんには16春香さんと17春香さんが同時に存在している。
それは時間の経過による接続ではないし、「よく似た別人」が別個に在るわけでもない。
樹状にずれた世界を同時に、正しく見るための赤青眼鏡として、首のないカットが効果を発揮している。

 首のない人が可愛いのは、首のない状態で人間の造形は完成しているから。

 首のない状態で人間の造形が完成するのは、首と胴体のバランスが悪いから。

 首と胴体のバランスが悪いのであれば、首だけの人間も可愛いというのは自明の理。

 ましてや、胴体がついていても可愛い人間ならば、なおさらのことだ。

 反転Rem@ster sample?
回Pの『反転Rem@ster sample?』。
今くびちょんぱの話をするとして、反転Rem@sterが出てこないなんてことはないだろう。
回Pで言えば『響く...』も首がなくなったりしていたのだけれど、これはスクショのシーンで、定型句や大袈裟表現でなく、椅子の上から「ガタッ」となった。きゅーんとなった。
我が身ながらあまりに単純なことだとは思うけれど、別に首がないから、首だけだからといって犬の涎みたいに何でも褒めちぎるわけじゃない。
可愛い首というものは、とても可愛い。そして全身を含むより、ずっと美しい。
マンガを模写し始めたばかりの小学生がキャラの顔だけを描きがちなのは、それが特別に印象的で、他の物が意識外に出てしまうからというのもあるけれど、顔だけで描いた方が完成度が高くなるから、というのもある。
実在の人間より視覚美術的バランスを重視して作られたアイマスモデルでさえ、元は人間をベースにしているのだ
そりゃあ、全身を映すより、顔だけの方が画としては完成されるに決まっている。

 連続集団反転地帯
反転Rem@sterで言えば、どぶろくPの『連続集団反転地帯』。
冒頭、「マスクをした人はみんな可愛い」理論との複合による、目から上だけの連続反転も良かったけれど、スクショ部分。
首のない状態で上下に向いた身体。天井と床の間を渡って動く、どこかディズニーめいた映像表現。
たとえば、人類の形状を全く知らない、異星の知的生命体がこの画を見たとして、これは反転動画を合わせたものだとの判別はつくだろうし、人類の正常な形状を表した物だとは思わないだろう。
では正常な形状は如何なるものか、と想像するにおいて、彼らは中心で画を上下に分けてみせる。
完成されるイメージは首のない人間だ
なるほど、この生物は美しい、そんな生物がいる惑星を破壊するなど以ての外である、と彼らは判断し、かくして地球は誕生以来最大の危機を無事乗り越えることができる。
我々地球生命はどぶろくPによって、母性消滅という暗澹たる運命から救われたのだ。

んんん。

だめだな。

そろそろ疲れてきてるな。

このあと首が飛ぶノベマスの話もしようと思っていたのだけれど、今回はやめておきましょう。ごはんたべます。
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ニコマスとかアイマスの話を思う存分書き綴る用のサブブログ。 たぶん期間限定なんですけど、期間自体は未定。本家

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